認知症が世界を変える

認知症の傍に四半世紀。日々医療の現場で認知症に思う、私の現在・過去・未来。

それ、認知症と関係ありますか?

時にレポート用紙何枚もにわたり、認知症の人の暮らしぶりを書いてくれる介護者がいる。

 

多くは記憶違いや幻覚・妄想、怒りっぽさなど認知症一般に見られる状態。

認知症の本人が自覚していることもあるし、身に覚えがないと言われることもある。

介護者の戸惑いは、対応方法がわからないことによる不安が大きいと考えられ、病気の説明をしたり、リーフレットを渡してみたりする。もちろん、本人にも反応を見ながら説明する。

いわゆる心理教育を重ね、自分も相手もやるべきことをやっているつもりだが、いつまでたっても介護者や本人から幸福感や介護のやりがい感が感じられない。何かを我慢したり、諦めたりしている空気を醸し出している。

研修を受けているであろう介護サービスの支援者の場合も例外ではない。

 

その空気に当てられて、少し疲れた私。

ドラッカーは言ったらしい。「正しい答えよりも、正しい問いが必要だ。」

NLPでも学んだ。「価値ある質問は、価値ある人生を創造する。」

一通り病気について説明した後、暮らしぶりを振り返りながらその対応法を考える時、ある時期から、私が違和感を覚えたものについては必ずこう聞くことにした。

 

「貴方の仰ることの、一体どこが問題だと思いますか?」

 

そして気付いた『介護者側』のいくつかの思い。

 

1、我慢している何かがある(自分の気持ちや行動)。

2、別のことでも問題を抱えている。

3、介護者の常識・べき論に反している。認知症の人が禁を犯していると思っている。罪悪感。

4、介護者が恥ずかしい。みっともなく感じる。

5、『病気』の『症状』だから、治療=無くさないといけないものだと思っているのにそうはなっていない。

 

介護者の思いが人・時・場所の背景を増やす原因になっている。

5については、心理教育のあり方を考えなければならない。というより、早期発見進行抑制の話ばかりメディアでするのはやめてほしい。

 

で、以上の結果から考えた。

認知症の患者さんへの接し方にはコツがあるとわかっていてもできない、上手くいかないのは、その課題の全てを『認知症』の『相手』だけのせいにしているからではないのだろうか。

 

介護の大変さに共感してばかりいずに、そんな質問から、一つ一つ互いの目のウロコを剥いで行くと、ことは認知症だけに留まらない、住んでいる場所の地域性、介護者の社会生活、複雑な家族背景に及ぶことは余りにも日常茶飯事だ。

 

認知症診療を突き詰めて行くと、認知症は関係なくなる気がしている。

認知症に関わる現場の人々の多くは、そう感じているのではないだろうか。