認知症が世界を変える

認知症の傍に四半世紀。日々医療の現場で認知症に思う、私の現在・過去・未来。

救急搬送のホンネ。

認知症の患者さんが、

 

妄想や怒りに身を任せていたり、

 

あまり理解はできなくても、

 

色々と御自身の思うところを蕩々と語る姿は、

 

私を心から安心させる。

 

 

なぜなら、概ね身体が元気な証拠だからだ。

 

 

 

一旦身体の具合が悪くなると、

 

 

特に、レビー小体型認知症では、

 

 

認知症症状がグッと悪くなり、

 

なかなか復活しづらいことも多い。

 

 

即ち、そのまま寝たきり、など。

 

 

 

そんな中、

 

どこが悪いのか、はっきり診断できてもいないで、

 

ただ大まかな所見で、

 

でも、入院でなければ対応出来ない、という判断で、

 

 

2次3次の病院へ患者さんの受け入れをお願いするのが…

 

 

正直、胃が痛い。

 

かといって、診療所にCTなんて置けない。

 

 

 

認知症における併発病は合併症であり、

 

 

即ち、治療の対象ではない、と、判断されることも多いからだ。

 

 

退院先がなく、驚くべき最後を遂げた事実も思い出される。

 

 

そんな記憶に翻弄され、

 

 

どんな風に説明しよう、とか、

 

受け入れてくれないとどうしよう、とか、

 

患者さんはどうなるんだろう、とか、

 

忙しい先生に電話して怒られたらどうしよう、とか、

 

迷惑だろうか、とか、

 

相手にされるだろうか、とか、

 

 

 

恐怖が恐怖を呼び、開き直るしかなく、

 

結局どうにかはなるのだが、

 

毎回、びびっている。不安障害なわたし。

 

総合診療部か、夜間休日救急外来の方が、

 

受け入れてくれ度が高いと、ちょっとだけ安心とか思ったり、とか。

 

 

 

 

イヤイヤイヤ…

 

確かにね、医者なら初期診断してから来い、と思ってたよ?昔は。

 

でもさ、それもこれも、全部、誰の話?

 

患者さんの話じゃ無いよね、そうだよね、

 

医者の話だよね。

 

私の、相手の、思考と気分の問題だよね。

 

それに、患者さん、結果的に入院できてるよね。

 

今の情報、全部出し切って説明して、受けてもらう同意も得られて、よかったよね。

 

しかも、家族の希望聞いて、最も入院のハードル高いところに、ぶつかってるよね。

 

それで、スルーしたよね。

 

良かったね、の結果を得たよね、だよね。

 

 

 

良いですよ〜って、笑顔の第一声じゃなかったのが、怖かっただけだよね。

 

それって、勝手にこっちが期待してたことだよね。

 

こっちだって、期待されても困るよね、分からないものは分からないし、

 

出来ないものは出来ない。

 

考えたいよね。

 

選択もしたいよね。

 

 

 

祈りは、医者である私が大切に扱われたい、ってことではなくって、

 

患者さんが、入院環境で医療を受けられるってことだよね。

 

皆んな安心させてもらえたよね。

 

 

 

ありがとうだよね。

 

 

 

ありがとう。

 

だからわたしは、

 

 

 

あなたが、今夜、可能な限り安心な環境で眠れることに感謝します。

 

その出会いとはからいに、感謝します。

 

 

 

そして、わたしは更なる、安心の中で、

 

病んだあなたと対話できるように、

 

精一杯の環境造りとして、

 

エコーの練習をしまくります。

 

エコー is the best tool for a bedside examination. 

 

医療機器は、医者を安心させるために発展したのではなかろうか、と、

 

思う、射手座の新月

 

あ、願い決まった。

 

わたしは、エコー検査のエキスパートであります。