救急搬送のホンネ。
認知症の患者さんが、
妄想や怒りに身を任せていたり、
あまり理解はできなくても、
色々と御自身の思うところを蕩々と語る姿は、
私を心から安心させる。
なぜなら、概ね身体が元気な証拠だからだ。
一旦身体の具合が悪くなると、
特に、レビー小体型認知症では、
認知症症状がグッと悪くなり、
なかなか復活しづらいことも多い。
即ち、そのまま寝たきり、など。
そんな中、
どこが悪いのか、はっきり診断できてもいないで、
ただ大まかな所見で、
でも、入院でなければ対応出来ない、という判断で、
2次3次の病院へ患者さんの受け入れをお願いするのが…
正直、胃が痛い。
かといって、診療所にCTなんて置けない。
認知症における併発病は合併症であり、
即ち、治療の対象ではない、と、判断されることも多いからだ。
退院先がなく、驚くべき最後を遂げた事実も思い出される。
そんな記憶に翻弄され、
どんな風に説明しよう、とか、
受け入れてくれないとどうしよう、とか、
患者さんはどうなるんだろう、とか、
忙しい先生に電話して怒られたらどうしよう、とか、
迷惑だろうか、とか、
相手にされるだろうか、とか、
恐怖が恐怖を呼び、開き直るしかなく、
結局どうにかはなるのだが、
毎回、びびっている。不安障害なわたし。
総合診療部か、夜間休日救急外来の方が、
受け入れてくれ度が高いと、ちょっとだけ安心とか思ったり、とか。
イヤイヤイヤ…
確かにね、医者なら初期診断してから来い、と思ってたよ?昔は。
でもさ、それもこれも、全部、誰の話?
患者さんの話じゃ無いよね、そうだよね、
医者の話だよね。
私の、相手の、思考と気分の問題だよね。
それに、患者さん、結果的に入院できてるよね。
今の情報、全部出し切って説明して、受けてもらう同意も得られて、よかったよね。
しかも、家族の希望聞いて、最も入院のハードル高いところに、ぶつかってるよね。
それで、スルーしたよね。
良かったね、の結果を得たよね、だよね。
良いですよ〜って、笑顔の第一声じゃなかったのが、怖かっただけだよね。
それって、勝手にこっちが期待してたことだよね。
こっちだって、期待されても困るよね、分からないものは分からないし、
出来ないものは出来ない。
考えたいよね。
選択もしたいよね。
祈りは、医者である私が大切に扱われたい、ってことではなくって、
患者さんが、入院環境で医療を受けられるってことだよね。
皆んな安心させてもらえたよね。
ありがとうだよね。
ありがとう。
だからわたしは、
あなたが、今夜、可能な限り安心な環境で眠れることに感謝します。
その出会いとはからいに、感謝します。
そして、わたしは更なる、安心の中で、
病んだあなたと対話できるように、
精一杯の環境造りとして、
エコーの練習をしまくります。
エコー is the best tool for a bedside examination.
医療機器は、医者を安心させるために発展したのではなかろうか、と、
思う、射手座の新月。
あ、願い決まった。
わたしは、エコー検査のエキスパートであります。