認知症に成り行く者
祖母が他界して数年の一人暮らしの後、幻覚妄想から住み慣れた家を離れ、子供達の家へ移り住んだ祖父。
毎日塞ぎ込んで、くよくよメソメソしていた祖父。
年の近い他人である私の父に煙たがられ、母の兄弟の家に移った祖父。
祖父が身を寄せる叔父の家の玄関先で、お盆の送り火を焚いている写真がある。
祖父、母の兄弟、その家族、私や父が写っている。みんな笑顔だ。
その叔父の家に住んでしばらくして、歩きにくさと腰痛のリハビリを目的に、祖父は入院した。
家にいてもゴロゴロするばかりだから体力が弱ったせいもあるとのこと。
最初は文句を言ったり、時折手紙を母宛に送っていた。
「助けてほしい、連れ出してほしい、あいつ(叔父)が俺をここに閉じ込める。」
嘘ではないと思ったが、正気なら黙って入院して治療を受ける筈だとも思った。
ちょっとボケてきた、とも思われていた。被害妄想が強すぎる、とも。
それから先、祖父が誰かの自宅に住むことはなかった。
何度目かの転院先は、精神科の閉鎖病棟だった。転院の理由ははっきりとはわからない。
私は受験生と部活動を理由にすっかり音信不通で、久しぶりにあった祖父は、ベッドに横たわり、寝ているのか起きているのかわからず、子供の顔も覚えていない、すっかり認知症の人になっていた。
この間長くても2ー3年。
2ー3年病院に拘束されたら、祖父は軽度認知症から高度認知症になった。
手足はやせ細り、口はあき、頬は痩けて、天井に視線を向け横たわるだけの存在になった。
もう誰のこともわからないだろうというくらい、面影も無くなるほどに痩せこけ、手足も動かさなくなった頃、私は大学に合格し、祖父に会いに行った。
合格通知を見せた直後、「受かった‼︎」と突然祖父が大声をあげ、涙ぐんだ。
試験とは何で、合格という言葉の意味を知らないと、そもそも出来事を理解できない筈で、それが理解できたことがまず驚きだった。そして喜んでくれたのだと嬉しかった。
自分のことの様に喜んだ祖父の心には、実際にはどんな思いが浮かんだのだろう。何に喜び、何が嬉しかったのだろう。
私の努力を労うのとは何か違う、将来を祝福してくれるでもない、「おめでとう」という気持ち以外の、もっと祖父の個人的な思いが詰まっていた様な気がして、それを受け取ってしまった気がしている。
その1ヶ月後、祖父は1人静かに息を引き取った。
祖父がこんな風になってしまったのは、私達のせいではないのか。
私がもっと祖父の気持ちに寄り添って、遊んだり連れ出したりもすれば良かったのに。
私は将来、認知症の人と共に時間を過ごすことが仕事であれる人になろう。
こんな後悔は2度としなくて良いように。
そんな罪の意識と、脳という臓器の美しさと、認知症に引き寄せられ、驚くほど面倒見の良い人との巡り合わせで、今、私はここに居る。
認知症の皆さんと数多く出会い、そんな罪の意識と、私は漸くサヨナラできそうだ。