認知症が世界を変える

認知症の傍に四半世紀。日々医療の現場で認知症に思う、私の現在・過去・未来。

認知症の寿命

認知症には寿命がある。

 

高齢者認知症の原因で、もっとも多いのはアルツハイマー病。他にレビー小体病、前頭側頭型認知症と共に、変性疾患という、脳の神経細胞が徐々に少なくなって行く病気だ。

主に大脳皮質という、脳の最外層がその機能を失って行く。

 

脳は主に3つの機能に分類される。

脳幹と呼ばれる、呼吸・血圧などの命に関わる調節エリア、

間脳と呼ばれる、記憶・感情など本能といわれるものに関わるエリア、

大脳皮質と呼ばれる、外界と内界をつなぐエリア。

 

大脳皮質が機能を失って行くとき、判断能力の低下、記憶違い、見間違い、性格変化、コミュニケーションの支障が現れる。

いわゆる認知症的生活への影響が見られる時。

それを過ぎると、排泄を自分でコントロールすることや、自分で動くことさえできなくなる。話す言葉もほとんどない。

病気がそれだけ広がっていったという結果。

 

そして最後に、『飲み込み』という、口から栄養を摂取するために必須の機能が失われるときがくる。

飲み込むとは、半分反射で半分意識的にできる、喉の筋肉を使った運動。反射は最後まで残る。

認知症の最後の最後、ものを飲み込み、栄養や水分摂取ができなくなる時、死に直結する障害。

その時は不意に、寄せては返す波のように訪れる。

むせ混みが多いと気付いた時。

骨折、脱水、肺炎、そんなよく聞く状態の一部として。

そして、生身のままならば、立ち向かっても引き下がっても、命は終わりを迎える。

 

それまでの期間は、10数年とあまりに長く、

それまでの間、諦め、受け入れ、引き受けながら克服してきた思いはあまりに多く、

長ければ長く、多ければ多いほど、

飲み込めないという事態も、克服し、引き受けて行くことを介護者は望むようになる。

それが『胃瘻造設』という選択。

それを選択することが、今、私があなたへ示すことができる『愛』の形なのだと

介護者が決めてしまっているとしたら、

そのリスク以外に医療者として何を語るべきか。

それは欲しい愛ではない、と、仮に言える人がいるとするならばそれは認知症の本人だけ。

一方で、その不自然にお腹に入るチューブの、それだけでは済まない数年や10数年を私達は知っている。

諦めではない、強要でもない、自発的な幸せの選択の先に、

自分で意思表示できない人の口にカメラを挿入し、胃に穴を開ける行為を行うという選択はあり得るのか?

その先の数年10数年を誰が引き受けることになるのか?

 

私は言葉を見つけられずにいる。