自閉症の僕が飛び跳ねる理由
ちょうどユマニチュードやナラティブ・ケアが紹介され始めたころ。
施設内を行き交うスタッフを目で追ったり、宙を眺めたりしている諸先輩方に、言語性コミュニケーションを試み、彼ら彼女らの心の場所、認知症とそれ以外のもを探していた。
中には、失語で言葉を話せない人、妄想の話ばかりでこちらがついていけない人、同じ動作を繰り返す人、衝動的に動き始めてしまう人もいる。
そんな様子を見るとき、本人の意思ではない、別の何かに意識が支配されてしまうことも、認知症の世界ではありうるのかもしれないと思っていた、その矢先、
『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』の著者、東田直樹さんがテレビで紹介されていた。
その、さわやかな衝撃。
気持ち良い!だからジャンプしたい!くるくる回りたい!おんなじこと何回も繰り返しやりたい!落ち着く!楽しい!空中に光の粒子が見える!キレイ!幸せ!!
自閉症の彼の、
一見居どころなく、焦燥感に突き動かされ、「したくないのに」してしまう、と、勝手にこちらが思っていた行動の数々。
キーボードに見立てた紙をタッピングしながら話す独特のコミュニケーション スタイル。
彼にしかできない解釈と表現によって、その全てが自身の幸福感を高めるための、彼にとって最善の行為だと意味づけされていった。
落ち着いて、穏やかに生活できることが、幸せな認知症者のあり方で目指すところだと、どこかで思っていたことに気づいた。
そしてその思いは勘違いだったと確信した。
こちらにはよくわからない行為にも、その行為を起こすだけで、本人にとっては、幸せへの肯定的な意味を持つことを理解した。
そんな出会いだった。
心理学では、認知症に見られる行動や心理変化を、challenging behavior や needs driven behavior model と捉える。
行動を起こす人間と起こさない人間。
動物としてどちらが自然なのかは一目瞭然だ。
認知症高齢者は別の何かに支配されているのではない。
社会のルールでコントロールしていた
人としての本能に目覚めているのだ。
悲しいほど、コントロールしていた頃の自分の記憶に支配されながらも。