勝手知ったる
私が出会ってまだ10年にも満たないけれど、既に100歳を超えた恩師に会いに行った。
身体の衰えと、認知機能の低下があり、1年弱の入院生活。
その間、人伝に沢山の本を頂きながら、何かと敷居が高くお見舞いに行けずにいた。
すっかり別人になっているかと思っていた。表情は穏やか。私が誰かは気づいてもらえない様子。まあ、予想通りだ。出会った頃、既にアミロイドは溜まっていたはずだし。
しかし、私は奥の手を準備しているのだ。
恩師に教えてもらった腰痛の治療法。
最近は随分認知症も進み、人の見当識障害や勘違いも増えてきているとのこと。
自分で立つのもままならなくなり、今日も腰が痛いからと、食事を途中で切り上げていた。
長の座りきり寝たきり生活で、腰が痛くない筈はない。
これをすれば、きっと何か思い出してくれるだろう。
そう思って施術を提案してみたところ、とても喜んでくれた。
椅子に座って施術するものだが、先生は辛いだろうとベッドに横になるよう勧める。しかし、「それでは出来ないでしょう。」と丸椅子を探す。
残念ながら立ち上がれず、看護師さんの介助でベッドに横になり施術することに。
施術中、一言も言葉を交わさないため、効果があるのかどうかは分からないが、皮膚には血行が改善している反応がある。いつもより少し多めに施術をし、終わったと声をかけた。
痛みはどうか尋ねると、先生は、移りなおした車椅子からおもむろに立ち上がった。
「良いですね。」
そういえば、先生が誰かにこの治療をしたあと、その効果を確認する為に毎回立ち上がってもらっていた。
そして今日。
「え?立つのですか?」周りの確認も間に合わない素早さで立ち上がり、背筋を伸ばして座り直して以前のキリッとした笑顔で再び
「やっぱり良いですね。」
誰に効かなくても、先生だけには絶対に効くと思っていた。
何度も何度も握手をし、取り繕いかどうかはわからないいくつかの話をする。
かつて先生が、誰にも見向きもされなかったこの治療法で、沢山の人の苦痛を取り除いた話。先生のつい2〜3年前までの日常。
身体の機能の限界と共に命を支える現役を離れた戦士は、人生の100分の1の期間で、あっという間に生と動を頼る立場になった。
だからといって、その瞬間必要とされる行動を忘れてしまったわけではない。
プログラムされた反射的な行動もまた、その人の人生の一部。
認知症になったらその人ではなくなるなんて、絶対にありえない。