認知症が世界を変える

認知症の傍に四半世紀。日々医療の現場で認知症に思う、私の現在・過去・未来。

勝手知ったる

私が出会ってまだ10年にも満たないけれど、既に100歳を超えた恩師に会いに行った。

 

身体の衰えと、認知機能の低下があり、1年弱の入院生活。

その間、人伝に沢山の本を頂きながら、何かと敷居が高くお見舞いに行けずにいた。

すっかり別人になっているかと思っていた。表情は穏やか。私が誰かは気づいてもらえない様子。まあ、予想通りだ。出会った頃、既にアミロイドは溜まっていたはずだし。

 

しかし、私は奥の手を準備しているのだ。

恩師に教えてもらった腰痛の治療法。

最近は随分認知症も進み、人の見当識障害や勘違いも増えてきているとのこと。

自分で立つのもままならなくなり、今日も腰が痛いからと、食事を途中で切り上げていた。

長の座りきり寝たきり生活で、腰が痛くない筈はない。

これをすれば、きっと何か思い出してくれるだろう。

そう思って施術を提案してみたところ、とても喜んでくれた。

 

椅子に座って施術するものだが、先生は辛いだろうとベッドに横になるよう勧める。しかし、「それでは出来ないでしょう。」と丸椅子を探す。

残念ながら立ち上がれず、看護師さんの介助でベッドに横になり施術することに。

施術中、一言も言葉を交わさないため、効果があるのかどうかは分からないが、皮膚には血行が改善している反応がある。いつもより少し多めに施術をし、終わったと声をかけた。

痛みはどうか尋ねると、先生は、移りなおした車椅子からおもむろに立ち上がった。

 

「良いですね。」

 

そういえば、先生が誰かにこの治療をしたあと、その効果を確認する為に毎回立ち上がってもらっていた。

そして今日。

「え?立つのですか?」周りの確認も間に合わない素早さで立ち上がり、背筋を伸ばして座り直して以前のキリッとした笑顔で再び

 

「やっぱり良いですね。」

 

誰に効かなくても、先生だけには絶対に効くと思っていた。

何度も何度も握手をし、取り繕いかどうかはわからないいくつかの話をする。

かつて先生が、誰にも見向きもされなかったこの治療法で、沢山の人の苦痛を取り除いた話。先生のつい2〜3年前までの日常。

身体の機能の限界と共に命を支える現役を離れた戦士は、人生の100分の1の期間で、あっという間に生と動を頼る立場になった。

だからといって、その瞬間必要とされる行動を忘れてしまったわけではない。

 

プログラムされた反射的な行動もまた、その人の人生の一部。

認知症になったらその人ではなくなるなんて、絶対にありえない。