認知症の終末期医療について考えたこと
あることをきっかけに、認知症の終末期医療について改めて考えてみた。
胃瘻導入についての意思決定支援として公式に公開されているガイドラインは2つある。
いずれも、認知症本人にとっての最善とは何かを考えるプロセスをチャート化したもの。
胃瘻の意思決定支援サイト
http://irouishikettei.jp/dl/gideline01.pdf
日本老年医学会高齢者ケアの意思決定プロセスについてのガイドライン
https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/proposal/pdf/jgs_ahn_gl_2012.pdf
更に、胃瘻導入について医師の持つ印象についてまとめた以下の報告書を拝読した。
10年前の意識調査であり、今では医師の考え方も変化していると思うが、とても参考になった。特に、
胃瘻を選択しないという方法をあえて提示しない理由として「医師と患者家族の心理的安寧の維持」が挙げられているところだ。
「餓死忌避」「見殺し感回避」「死なせる決断の重さ」という具体的な言葉でもその内容が説明されていた。
「認知症の終末期と胃瘻栄養法 PEG の施行要因分析と価値判断を経た代替法の提案 ―
東京大学 大学院人文社会系研究科 グローバル COE「死生学の展開と組織化」 特任研究員 会田薫子」
http://www.zaitakuiryo-yuumizaidan.com/data/file/data1_20110520022958.pdf
以前から上の2つのガイドラインを見知っていたが、自分がそのプロセス通りに関われる気が全くしなかった。
その理由も含め、改めて自分の考えを見直してみると、認知症終末期においては、
その姿をみて、胃瘻を回避した方がいいのではないかと考える時、経管栄養で生き続ける患者本人の身体的苦痛をみていた。
その姿をみて、胃瘻導入を検討してもいいのではないかと考える時、話し合いの当事者である家族や医療者の精神的苦痛を見ていた。
本人のスピリチュアルなもの、介護者の身体的負担については注意を向けていられなかった。
苦痛や負担は回避すべきものだ、と考えて自己矛盾していた。
私の矛盾が介護者の気持ちと干渉しあってしまい、更に自分の言葉を失っていたかもしれない。
いずれにしても、全てが結果だけを見て判断しようとしていたように思える。
自分の中のモヤモヤの輪郭がはっきりしたところで、ようやくプロセス重視のガイドラインを参考にすることもできそうだ。
そして、思う。
自分の心の平穏を他人に依存する時、人は苦しみも同時に抱える。
自分の心と体を、瞬間瞬間で自分が一番大切にしていれば、相手のこともまたそのように尊重できるだろう。
私は、私の人生の締めくくり方を自分で決めることができるほどに、死を迎えるその時、人間として自立し、自分の人生に満足していたい、と。