認知症が世界を変える

認知症の傍に四半世紀。日々医療の現場で認知症に思う、私の現在・過去・未来。

悪夢

胸の中心が詰まるような、

 

締め付けられるような息苦しさの中で、

 

明け方、目が覚める。

 

 

そんなとき、決まって見ている夢の中身は、

 

困って、助けを求めているように感じる、母のこと。

 

 

 

そのリアリティに、

 

毎回、目覚めた私は、母はずいぶん前に他界したはずだった事を

 

思い出そうとしてしまう。

 

「だから、大丈夫だ、心配ない。あの人は既に死んでいる。」

 

 

 

もう一つ、

 

他人に、自分の領域に、土足で踏み込まれていることを許可しているような、

 

そんな感覚の夢。

 

汚れているから、

 

相手が望むから、

 

友達だから、

 

家族だから、

 

仕方がない、と。

 

 

自分がこんなことをしていていいのか、と、迷う。

 

相手のために何が出来るのか、

 

どうしてしないのか、

 

どうしてできなかったのか、

 

どうしてしなかったのか、

 

 

理由を問うフリをして、

完全にリフレインで、

 

 

自分を責めている。

 

 

 

 

ああ、私は、未だ「救い」というものが、

 

 

他人によってもたらされるものだと、

 

 

信じているようだ。

 

 

自分の道は自分で決めなければ、と、思う一方で、

 

 

他人へは、自分が救いとユルシを与えていくのだ、と、

 

 

自動思考が働いているように見える。

 

 

だから、この仕事についてしまったのだろうか。

 

 

 

切なさや苦しみが、

 

ただの、

 

「感情の記憶」だということを私は知っている。

 

記憶とは、捏造可能・削除可能なコバナシ。

 

目が覚めてまで、自分を責め続けない程度には、

 

自分自身と、記憶のされた自分をわけて考えるようになっていた。

 

 

 

そんなことをふと考えた、午前6時。