認知症が世界を変える

認知症の傍に四半世紀。日々医療の現場で認知症に思う、私の現在・過去・未来。

認知症の人とのコミュニケーション

介護老人保健施設での勤務は、緊張の連続だった。

求められている役目や仕事は何か、ドキドキしながら探していた。

そんな私は、施設で過ごす人生に大先輩たちと、

挨拶ができること、目が合い微笑みあえること、

この2つにどれほど救われていたことか。

 

認知症は、どの辺りから皆で関われば、長く自立して生活できるのか。

どこまで薬でコントロールが可能なのか?

認知症について学びたいことがある、ただそれだけを求めて転職してみた。

よく言う自立が何を意味するのか、これが立場によって違うのだということの重要性には気づいていなかった。

認知症の人、ではなく、認知症という病気しか見ていなかった。

その見方は、その人の中の病気な部分と元々の人間性の部分を、わけて捉えようとするものの見方に繋がっていた。

 

だからこそ、人対人のコミュニケーションとして、その人がどんな人か?笑いのツボは?乗ってきてくれる話は?など、どうすればその人の懐に入れてもらえるのかを探り探りはなしをしていた。

 

言い繕いやニュアンスでは、わかったふりをしてもらえない認知症者に対し、自分の関わり方は間違ってないと、安心感を与えてくれる瞬間が欲しかった。

それが『挨拶』、そして『笑顔のアイコンタクト』によりもたらされた。

 

そのうち、『笑う』という項目が追加された。

笑顔や挨拶は、一瞬ならば単なる習慣か、ミラーニューロンの働き、いわゆる釣られ行動というだけかも知れないと考えが生まれたからだ。

 

認知症の人と関わるその瞬間、私は彼ら彼女らにそれ以外の何も求めていない。