認知症が世界を変える

認知症の傍に四半世紀。日々医療の現場で認知症に思う、私の現在・過去・未来。

私と認知症との出会い

今日は牡羊座新月

望むものにフォーカスすれば、新たなスタートにパワーをくれるとのこと。

望むもののヒントは望まないことにある。

私が認知症を見つめ続けた理由も、望むものを求めた結果だった。

改めて、今の自分を確認する為に、過去を遡り、望んだことを確認してみようと思う。

 

これから先は、私の記憶の中の認知症との初めての出会い。

私と認知症との序章。

 

共働きの夫婦は、小学校に上がるまでの間、私を母方の祖父母の家に預けることを決めた。

祖父お手製の木造建屋、夕方5時には始まる食事、子供に全く配慮されないテレビ番組、寒い風呂場、独り寝の布団、薄暗い電気。決して居心地が良いとは言えない家と、若い頃の祖父のヤンチャが原因で仲の冷え切った祖父母と過ごすウィークデーは、緊張感と淋しさが多かった気もするが、笑顔の可愛い祖父と、料理の上手で酒好きな祖母の存在がいつも近くにあった。

 

小学校に入り、両親と暮らすようになったため祖父母にあう機会は減った。

祖母が胃がんになったのは中学年くらいで、下校途中に偶然母とあって、お見舞いについて行ったところが、その日祖母はそのまま急変して他界してしまった。祖母が入院したことは幼稚園の時にもあった。祖父が変わりに作ってくれたお弁当は、普通に可愛く美味しかった。その時祖母は帰ってきたが、今回は帰ってこなかった。半分ハンストで自殺的だったと聞いているから、もう祖父の元へは帰りたくなかったのかもしれないと、叔母たちが話していた。祖父は葬儀の間中、めそめそくよくよしていた。最後に病院まで遺体を引き取りに来なかったこと、遺体に近付こうとしないことを、意気地なしだと子供達は文句を言っていたが、私にはよく分からなかった。祖父と一緒に祖母のお見舞いに行った時の写真が残っている。「お前、早く帰ってこいよ。」確かそんなことを言っていたような、寂しそうで可愛らしい笑顔の祖父が写っている。

 

祖父はしばらく一人暮らしを続けていたが、自宅の屋根から落ちたりして、あちこち痛めては、整形外科へ入退院を繰り返した。有床診療所の、狭い居室と、寝なれないベッドと、排泄動作の制限が苦痛で仕方がないようで、自宅へ帰ると行って聞かなかった。時々遊びに行ったが、借家の管理や切手販売など、何かと仕事はあるようだった。食事は私の幼馴染の家でもある隣の個人商店で賄っており、家にはやたらと新しい電化製品が揃っていた。

 

そんなある日、隣の幼馴染の家から私の母へ連絡がきた。

祖父が、「家に泥棒が入った。」と大声で助けを求めに来ることが何度か続いている、と。

 

 

 

 

勝手知ったる

私が出会ってまだ10年にも満たないけれど、既に100歳を超えた恩師に会いに行った。

 

身体の衰えと、認知機能の低下があり、1年弱の入院生活。

その間、人伝に沢山の本を頂きながら、何かと敷居が高くお見舞いに行けずにいた。

すっかり別人になっているかと思っていた。表情は穏やか。私が誰かは気づいてもらえない様子。まあ、予想通りだ。出会った頃、既にアミロイドは溜まっていたはずだし。

 

しかし、私は奥の手を準備しているのだ。

恩師に教えてもらった腰痛の治療法。

最近は随分認知症も進み、人の見当識障害や勘違いも増えてきているとのこと。

自分で立つのもままならなくなり、今日も腰が痛いからと、食事を途中で切り上げていた。

長の座りきり寝たきり生活で、腰が痛くない筈はない。

これをすれば、きっと何か思い出してくれるだろう。

そう思って施術を提案してみたところ、とても喜んでくれた。

 

椅子に座って施術するものだが、先生は辛いだろうとベッドに横になるよう勧める。しかし、「それでは出来ないでしょう。」と丸椅子を探す。

残念ながら立ち上がれず、看護師さんの介助でベッドに横になり施術することに。

施術中、一言も言葉を交わさないため、効果があるのかどうかは分からないが、皮膚には血行が改善している反応がある。いつもより少し多めに施術をし、終わったと声をかけた。

痛みはどうか尋ねると、先生は、移りなおした車椅子からおもむろに立ち上がった。

 

「良いですね。」

 

そういえば、先生が誰かにこの治療をしたあと、その効果を確認する為に毎回立ち上がってもらっていた。

そして今日。

「え?立つのですか?」周りの確認も間に合わない素早さで立ち上がり、背筋を伸ばして座り直して以前のキリッとした笑顔で再び

 

「やっぱり良いですね。」

 

誰に効かなくても、先生だけには絶対に効くと思っていた。

何度も何度も握手をし、取り繕いかどうかはわからないいくつかの話をする。

かつて先生が、誰にも見向きもされなかったこの治療法で、沢山の人の苦痛を取り除いた話。先生のつい2〜3年前までの日常。

身体の機能の限界と共に命を支える現役を離れた戦士は、人生の100分の1の期間で、あっという間に生と動を頼る立場になった。

だからといって、その瞬間必要とされる行動を忘れてしまったわけではない。

 

プログラムされた反射的な行動もまた、その人の人生の一部。

認知症になったらその人ではなくなるなんて、絶対にありえない。

認知症の終末期医療について考えたこと

 

あることをきっかけに、認知症の終末期医療について改めて考えてみた。

 

springplanting.hatenablog.com

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胃瘻導入についての意思決定支援として公式に公開されているガイドラインは2つある。

いずれも、認知症本人にとっての最善とは何かを考えるプロセスをチャート化したもの。

 

胃瘻の意思決定支援サイト

http://irouishikettei.jp/dl/gideline01.pdf

日本老年医学会高齢者ケアの意思決定プロセスについてのガイドライン

https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/proposal/pdf/jgs_ahn_gl_2012.pdf

 

更に、胃瘻導入について医師の持つ印象についてまとめた以下の報告書を拝読した。

10年前の意識調査であり、今では医師の考え方も変化していると思うが、とても参考になった。特に、

胃瘻を選択しないという方法をあえて提示しない理由として「医師患者家族心理的安寧の維持」が挙げられているところだ。

「餓死忌避」「見殺し感回避」「死なせる決断の重さ」という具体的な言葉でもその内容が説明されていた。

 

認知症の終末期と胃瘻栄養法 PEG の施行要因分析と価値判断を経た代替法の提案 ―
東京大学 大学院人文社会系研究科 グローバル COE「死生学の展開と組織化」 特任研究員 会田薫子

http://www.zaitakuiryo-yuumizaidan.com/data/file/data1_20110520022958.pdf

 

以前から上の2つのガイドラインを見知っていたが、自分がそのプロセス通りに関われる気が全くしなかった。

その理由も含め、改めて自分の考えを見直してみると、認知症終末期においては、

 

その姿をみて、胃瘻を回避した方がいいのではないかと考える時、経管栄養で生き続ける患者本人の身体的苦痛をみていた。

その姿をみて、胃瘻導入を検討してもいいのではないかと考える時、話し合いの当事者である家族や医療者の精神的苦痛を見ていた。

本人のスピリチュアルなもの、介護者の身体的負担については注意を向けていられなかった。

苦痛や負担は回避すべきものだ、と考えて自己矛盾していた。

私の矛盾が介護者の気持ちと干渉しあってしまい、更に自分の言葉を失っていたかもしれない。

 

いずれにしても、全てが結果だけを見て判断しようとしていたように思える。

自分の中のモヤモヤの輪郭がはっきりしたところで、ようやくプロセス重視のガイドラインを参考にすることもできそうだ。

 

そして、思う。

自分の心の平穏を他人に依存する時、人は苦しみも同時に抱える。

自分の心と体を、瞬間瞬間で自分が一番大切にしていれば、相手のこともまたそのように尊重できるだろう。

私は、私の人生の締めくくり方を自分で決めることができるほどに、死を迎えるその時、人間として自立し、自分の人生に満足していたい、と。

 

 

 

認知症の延命治療:追記

「胃瘻をいれた状態での自然な死というのもあるのではないでしょうか。」

「一つの機能を失っても、生きて行ける方法があるならば、それを選択したいと思います。」

 

認知症の終末期、栄養や水分を口から摂取できなくなった家族を前に、呟かれた言葉たち。

 

アルツハイマー病やレビー小体病など、神経細胞が減り、その働きが悪くなる病気がある。

進行すると、幼少期にトレーニングされた排泄行為の自立が困難となり、

ついに、生れながらに持つ機能である嚥下の能力が失われる。

嚥下の重要な機能は2つ。

口の中の物を食道に送り込むことと、肺にものが入り込まないように気道を塞ぐこと。

失敗すると、窒息や治療の難しい肺炎を起こす。肺炎は死亡原因のトップ5に入る状態。

これとは逆に、乳房を吸うような「吸引反射」は前頭葉または広範囲に脳が障害された結果起こる。

脳の病気の進行は、反射を利用して、他の誰かが食べ物を口に入れる手伝いをすることはできても、本人が食道へ飲み込めない、という状況を作る。

 

認知症の延命治療とは、

個人として、人間として、動物としての脳神経の機能を徐々に失って行くという病気の最終ステージにおいて、

生命維持に関わる嚥下(時に呼吸)機能が失われ、病気とともに命の終焉を迎える段階で、

人工的な操作を加え、その自然経過を変えて行く行為。

食べられないときは胃瘻造設

胃瘻造設ができない場合は中心静脈栄養

呼吸機能が不十分なときは人工呼吸器

ペニシリンの投与によって負傷兵の死亡率が激減したように、

義足の装着によって歩行での移動が可能になったように、

延命治療によって命を繋ぐ選択は、

動物としては不自然に見えても、人間としては自然な行為とも考えられる。

 

決定的に違うのは、

認知症の最終段階でその選択を必要とするとき、

当の本人には選択するための意思決定能力が保たれていない可能性が高いこと。

そしてその状況は改善する見込みがないこと。その結果として、

認知症の延命治療のその先は、

肉体としてのその人の存在を、この世に繫ぎ止めるための関わりが主体となる。

 

医療経済の視点で語られることも多い延命治療について、

単純に医療費における終末期治療費の割合が多いことも事実であり、

人口減も加速する中、資源の再分配におけるその価値を問う人もいるだろう。

肉体と魂の自由を願う人や、輪廻転生を信じる人には延命行為自体を余計に感じるかもしれない。

その一方で、その人のこの世の存在にこそ、自分の生きる意味や役割を見出す人もいるだろう。

 

ここまで書いて、功利主義で有名なジェレミ・ベンサムが、本人の意思によりミイラ化され、死して150年を超えて今なおロンドンの大学で世間を眺めているという話を思い出した。

意識が肉体に宿っているか否か、この世に在りたいか否か、どういう形で在りたいか、自ら選択する人と、環境に支配される人がいる。

であるならば、人としての延命治療の選択における課題は、それをするかしないか結論することではない。

安易な意識決定は、実際には『選択』ではなく、環境に流されているだけになってしまう可能性が高い。

その人らしさ、介護者のイメージ、手技のリスク、その後予想される経過、

必要なのは、選択するプロセスをいちいち詳らかにしてゆく時間を、じっくりと丁寧に過ごすことだ。

そして、本人の幸せが尊重されてほしい。家族がどれほど尽くしていても、あくまで代理意思決定支援であることを、誰もが忘れてはならない。

 

一般的なリスクとベネフィットとその後の(外から見た)QOLの話に終始していた、自分への自戒と役割の再確認。

私に言葉は必要ない。ただその答えを見つけるための質問を重ねるだけ。

認知症の寿命

認知症には寿命がある。

 

高齢者認知症の原因で、もっとも多いのはアルツハイマー病。他にレビー小体病、前頭側頭型認知症と共に、変性疾患という、脳の神経細胞が徐々に少なくなって行く病気だ。

主に大脳皮質という、脳の最外層がその機能を失って行く。

 

脳は主に3つの機能に分類される。

脳幹と呼ばれる、呼吸・血圧などの命に関わる調節エリア、

間脳と呼ばれる、記憶・感情など本能といわれるものに関わるエリア、

大脳皮質と呼ばれる、外界と内界をつなぐエリア。

 

大脳皮質が機能を失って行くとき、判断能力の低下、記憶違い、見間違い、性格変化、コミュニケーションの支障が現れる。

いわゆる認知症的生活への影響が見られる時。

それを過ぎると、排泄を自分でコントロールすることや、自分で動くことさえできなくなる。話す言葉もほとんどない。

病気がそれだけ広がっていったという結果。

 

そして最後に、『飲み込み』という、口から栄養を摂取するために必須の機能が失われるときがくる。

飲み込むとは、半分反射で半分意識的にできる、喉の筋肉を使った運動。反射は最後まで残る。

認知症の最後の最後、ものを飲み込み、栄養や水分摂取ができなくなる時、死に直結する障害。

その時は不意に、寄せては返す波のように訪れる。

むせ混みが多いと気付いた時。

骨折、脱水、肺炎、そんなよく聞く状態の一部として。

そして、生身のままならば、立ち向かっても引き下がっても、命は終わりを迎える。

 

それまでの期間は、10数年とあまりに長く、

それまでの間、諦め、受け入れ、引き受けながら克服してきた思いはあまりに多く、

長ければ長く、多ければ多いほど、

飲み込めないという事態も、克服し、引き受けて行くことを介護者は望むようになる。

それが『胃瘻造設』という選択。

それを選択することが、今、私があなたへ示すことができる『愛』の形なのだと

介護者が決めてしまっているとしたら、

そのリスク以外に医療者として何を語るべきか。

それは欲しい愛ではない、と、仮に言える人がいるとするならばそれは認知症の本人だけ。

一方で、その不自然にお腹に入るチューブの、それだけでは済まない数年や10数年を私達は知っている。

諦めではない、強要でもない、自発的な幸せの選択の先に、

自分で意思表示できない人の口にカメラを挿入し、胃に穴を開ける行為を行うという選択はあり得るのか?

その先の数年10数年を誰が引き受けることになるのか?

 

私は言葉を見つけられずにいる。

 

 

 

自閉症の僕が飛び跳ねる理由

ちょうどユマニチュードやナラティブ・ケアが紹介され始めたころ。

 

施設内を行き交うスタッフを目で追ったり、宙を眺めたりしている諸先輩方に、言語性コミュニケーションを試み、彼ら彼女らの心の場所、認知症とそれ以外のもを探していた。

 

中には、失語で言葉を話せない人、妄想の話ばかりでこちらがついていけない人、同じ動作を繰り返す人、衝動的に動き始めてしまう人もいる。

 

そんな様子を見るとき、本人の意思ではない、別の何かに意識が支配されてしまうことも、認知症の世界ではありうるのかもしれないと思っていた、その矢先、

 

自閉症の僕が飛び跳ねる理由』の著者、東田直樹さんがテレビで紹介されていた。

 

その、さわやかな衝撃。

 

気持ち良い!だからジャンプしたい!くるくる回りたい!おんなじこと何回も繰り返しやりたい!落ち着く!楽しい!空中に光の粒子が見える!キレイ!幸せ!!

 

自閉症の彼の、

一見居どころなく、焦燥感に突き動かされ、「したくないのに」してしまう、と、勝手にこちらが思っていた行動の数々。

キーボードに見立てた紙をタッピングしながら話す独特のコミュニケーション スタイル。

彼にしかできない解釈と表現によって、その全てが自身の幸福感を高めるための、彼にとって最善の行為だと意味づけされていった。

 

落ち着いて、穏やかに生活できることが、幸せな認知症者のあり方で目指すところだと、どこかで思っていたことに気づいた。

そしてその思いは勘違いだったと確信した。

こちらにはよくわからない行為にも、その行為を起こすだけで、本人にとっては、幸せへの肯定的な意味を持つことを理解した。

そんな出会いだった。

 

心理学では、認知症に見られる行動や心理変化を、challenging behavior や needs driven behavior model と捉える。

行動を起こす人間と起こさない人間。

動物としてどちらが自然なのかは一目瞭然だ。

 

認知症高齢者は別の何かに支配されているのではない。

社会のルールでコントロールしていた

人としての本能に目覚めているのだ。

悲しいほど、コントロールしていた頃の自分の記憶に支配されながらも。

 

 

 

認知症の人とのコミュニケーション

介護老人保健施設での勤務は、緊張の連続だった。

求められている役目や仕事は何か、ドキドキしながら探していた。

そんな私は、施設で過ごす人生に大先輩たちと、

挨拶ができること、目が合い微笑みあえること、

この2つにどれほど救われていたことか。

 

認知症は、どの辺りから皆で関われば、長く自立して生活できるのか。

どこまで薬でコントロールが可能なのか?

認知症について学びたいことがある、ただそれだけを求めて転職してみた。

よく言う自立が何を意味するのか、これが立場によって違うのだということの重要性には気づいていなかった。

認知症の人、ではなく、認知症という病気しか見ていなかった。

その見方は、その人の中の病気な部分と元々の人間性の部分を、わけて捉えようとするものの見方に繋がっていた。

 

だからこそ、人対人のコミュニケーションとして、その人がどんな人か?笑いのツボは?乗ってきてくれる話は?など、どうすればその人の懐に入れてもらえるのかを探り探りはなしをしていた。

 

言い繕いやニュアンスでは、わかったふりをしてもらえない認知症者に対し、自分の関わり方は間違ってないと、安心感を与えてくれる瞬間が欲しかった。

それが『挨拶』、そして『笑顔のアイコンタクト』によりもたらされた。

 

そのうち、『笑う』という項目が追加された。

笑顔や挨拶は、一瞬ならば単なる習慣か、ミラーニューロンの働き、いわゆる釣られ行動というだけかも知れないと考えが生まれたからだ。

 

認知症の人と関わるその瞬間、私は彼ら彼女らにそれ以外の何も求めていない。