認知症が世界を変える

認知症の傍に四半世紀。日々医療の現場で認知症に思う、私の現在・過去・未来。

病気だから変わったのか、居場所が違うからなのか。

ある日突然、夜の幻覚妄想に襲われ近所に助けを求めた明治生まれの祖父。

 

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その時、すぐに病院に連れて行かれたのかどうかは覚えていない。

近所迷惑だから家に一人で置いておけないと、祖父が我が家へやってきたのは私が高校生の時だった。

彼が長年住んでいた場所は、大通り沿いの家や商店が軒を連ねる地域。周りは知り合いばかりで、商売を通じての取引もあった。

越してきた先は郊外の新興住宅地。周りには田畑、知り合いは誰もいない。道も知らない場所。

この家に遊びに来たのも数えるほどしかない。

そんな手がかりのない家で、祖父は一日中ストーブの端に肩肘を付き、頭を抱え、誰にともなく愚痴を言っていた。

 

東條英機の馬鹿野郎。日本が降伏したことは間違いだった。どうしてこんなことになったんだ。」

 

今思えば、いわゆる老年期のうつ病であったのだろうか。

それまでの祖父を、優しくも怖い存在だと私が感じていたのは、幼少期の記憶の中、祖父をその様な存在として扱っていた祖母の影響も大きかったということを、今なら理解できる。しかし、当時の私には、マイペースな彼が、自分の好き勝手に生活しているか、自分勝手に思い込んで落ち込んでいるか、どちらにしてもやりたいようにやっている、ただそれだけのこととしてしか理解できていなかった。

かつて、彼が自分勝手にあれしろこれしろとこちらに指図してきていた頃は、嫌々ながらもいうことを聞いていた。

一方で、彼が自分勝手に落ち込んでいる時は、好きにさせるでもなく、こちらがイラつき、元気に過ごすべきだと言葉で強要する。

彼はわがままで、自立しており、怖くて、私たちに指図する人であるべきだ、と言わんばかりに。

祖父にこれまで通りの祖父でいることを期待していたのだろうか。それが、相手を尊重することだと思っていたのだろうか。

彼自身のイメージは祖母の存在によっても作られていた。その祖母が居ない今、彼の存在感のフェーズが変わっていて然るべきだった。

祖母が居ない祖父が何を思い、何を求め存在していたのか、当時の私には注意を向けることはできなかった。

 

何を話しかけても、以前のような笑顔をみることはなく、徐々に話の辻褄も合わなくなっていた。

只々愚痴っぽい存在、肩を落とし、ご飯を食べ、座っているだけの存在としての祖父がそこにいた。

今思えば、家を出るでもなく、私たちの目の届く部屋に居続けてくれたことにも感謝できるのに、

そんな彼を見ているのが辛く、違和感が募っていった私。

そして誰よりもその存在に我慢できなくなったのは、祖父に歳の近い私の父であった。