物取られ妄想
あるはずの物がない時
物が無いことが自分のせいとは考えられない時
つまり、自分に思い当たる節がないとき
誰か物を持って行った人がいるかも、と考えるのは
仕方がないことかも知れない。
途中誰かに貸した記憶があって、
その人が「犯人」かもしれない、と疑った時点で、
持っていって使っている人がいる、
ではなく、
奪った人と奪われた人が脳内で設定されてしまう、
そのこと自体が既に妄想の火種
犯人=意図的行動、奪われる、ということ。奪われる=恐怖・怒りという設定。
ふと浮かんだ、自分の考え・推理・ある一つの可能性を、
ジョウシキ的な妥当性と記憶との照らし合わせで抑制できない、
そのうちに核心と変わってしまう、
物取られ妄想には、拭い去れない疑心と核心の幅があるような気もする
記憶というのは曖昧で、如何様にも捏造可能。
無視することも出来るシロモノ。
その取捨選択は、強く本人の感情・常識・妥当性と結びついている。
ベースにある、不安、恐怖、奪う人と奪われる人、犯人と被害者。
誰かによって誰かが傷つけられる。
人によって人が傷つく
人と人が争う。
親子とは
夫婦とは
他人と自分とは
モノのなかった時代から夢を形にし続けた、
有限な命を守る為、信頼、後に忠義をコミュニティーの中心に添えた、
数千年の文化の端の、オリ。
安らぎと喜びの中で行きたいとき、
なすべきことは犯人探しじゃない。
オリを、捨てよう。
孤独を受け入れよう。
意識を自分の感情にフォーカスし、
自分の思い込みを知ろう。